アイアムアヒーロー(作者:花沢健吾)※ネタバレ注意
『アイアムアヒーロー』キモい主人公がゾンビを倒しながら成長していくお話
はじめに
『アイアムアヒーロー』はビッグコミックスピリッツに2009年から2017年にかけて連載されていた花沢健吾の作品。ジャンルとしてはSFアクションあるいはSFホラーとなるでしょう。終末もの、ゾンビものとも言えますが、後述のように独特な世界観を展開する作品で、なかなか簡単には分類できない作品です。
痛々しいヒーロー
舞台は現代日本。主人公は鈴木英雄という売れない漫画家。都内のアパートに一人暮らししています。彼は、一応デビューしたものの連載はすぐに終了し、別の漫画家のアシスタントをしながら何とか生活しています。妄想癖があり、夜中にひとり自室でインスタント食品を食いながら、「矢島」という想像上の友人にむかって演説をぶっています。アシスタントとしての仕事中にも、妄想を繰り広げながらぶつぶつ独り言を言っているので、先輩アシスタントにあきれられています。まあ、一言でいえば「キモい」という言葉を絵に描いたような人物といえましょう。
妄想の中での彼は、周りから多大なる賞賛を浴びる「ヒーロー」。それが痛々しい妄想であることは英雄自身よくわかっていて、現実の自分は脇役だと自虐しています。
戦うヒーロー
日常の崩壊
このように痛々しくも、まあ何とかそれなりに平和な生活を送っていた主人公。彼女だって一応います。漫画の主人公とすればちょっとアレですが、考えようによっては現実の我々に近い「等身大の人物」とも言えるでしょう。
しかし、平和な生活はあっけなく崩壊します。
恋人である黒川徹子の部屋を訪ねた英雄は、そこで醜悪な姿に変わり果てた彼女に襲われることになります。辛くも逃れるも、その間にも付近の住民たちが次々と異形の姿となって彼に襲いかかります。
なんとか電車に乗り込むと、そこは変わらぬ日常の世界。外の阿鼻叫喚が嘘のように、乗客たちはのんきな顔をしています。主人公ともども読者もほっと一息つきますが、よくみると隣の車両にいるサラリーマンらしき男の挙動が変です! そいつは英雄のいる車両に移動してくると、居合わせた乗客に噛みつき始めます。たちまち異常行動をとり始める被害者たち。
「日常」が「異常」に浸食されていく光景は、まあこの手の作品ではよくある類の場面ですが、やはり心を刺激されますね。
実は英雄には銃を扱えるという特技があります。日本でも許可を取れば狩猟や競技用の銃を所有することができるのです。彼は猟銃を所持しており、銃さばきの腕前はかなりのもののようです。しかし、彼は良くも悪くも小市民。完全に社会が崩壊し、誰もが命がけの生活を送る状況に陥っているにもかかわらず、許可なく銃を取り出すのは法律違反で……などと場違いに悩みます。彼が本当に事態に立ち向かうようになるには、さらに多くの人々との出会いが必要でした。
出会い
英雄は、紆余曲折の末、まだ人々が生き残っているらしい御殿場を目指すことになります。その途上で、本作のもう一人の重要な登場人物である早狩比呂美に出会います。
比呂美は出会いからほどなく、異常化した赤ん坊に噛みつかれ、「半感染」という状態に陥ってしまいます。明らかに正常ではなく、会話もできないが、人を襲ったりはしないという状況。これが何を意味するのかは物語の終盤になってやっと(ぼんやりと)明かされることになるのですが、英雄に真相究明などしている余裕はありません。
根は善良である英雄はそんな比呂美を放ってはおけず、なんとか彼女を連れて御殿場ショッピングモールにたどり着きますが、もはや秩序は崩壊しています。確かに生き残った人々はいてモールの屋上に立てこもっていますが、武器を手にした一部の者たちがやりたい放題しており、女性は性奴隷状態。リンチやいい加減な処刑が常に行われている『北斗の拳』のような状況です。
そこで英雄が出会ったのが、看護師の小田つぐみです。
言動がなにやら投げやりで無愛想なつぐみ。しかし、比呂美の状況を見抜き、彼女がこの異常事態を解決するカギを握っているのではないかと睨み、英雄と比呂美をフォローします。
ほどなく、英雄と比呂美はつぐみの車で御殿場を脱出して東京に向かうことになります。その途上で比呂美は正常な意識を取り戻すのでした。
このつぐみさんは作中で一二を争う魅力的なキャラだと思います。変わり者なのですが、知識・判断力・行動力はピカイチで、英雄に活を入れまくります。彼女との接触が英雄の行動を大きく変えるきっかけになったといえるでしょう。しかし、運命は二人が恒久的に行動を共にすることを許しませんでした。
比呂美と自転車二人乗り(!)で都内を目指すことになった英雄。もはや彼は何があっても全力で彼女を守ろうと決意しています。ところが、そんな比呂美とも別れの時がやってきます。それもおよそ考えられないような経緯で。
無駄毛好きのヒーロー
この作品で最も特筆すべきは何と言っても主人公であり作者の性癖。毛フェチです。ここまで無駄毛について言及している漫画も少ないでしょう。かく言う自身も毛フェチなのでここには引き込まれました。VIO脱毛だなんだとこのエロスを理解しない昨今のお洒落女子には毛の素晴らしさをこの作品を通じて知ってほしいものです(本気)。見てください、ヒロインたちの無駄毛の美しさを。
少しは魅力が伝わりましたでしょうか。まだ足りないなら三次元での腋毛女子写真を見よ。どうですか。
ゾンビパニック?
典型的なゾンビもの……ではない?
作中に登場する異常化した人間たちは、zqnと呼ばれています。その挙動はゾンビそのものといえます。
⦁ 知性を失い、会話や複雑な作業はできなくなっている。
⦁ しかし人間だったころの習慣は反芻しようとするらしい。
⦁ 一日中うろうろのろのろ歩き回っている。
⦁ 手足や頭の一部を失ったりしても意に介さず活動を続ける。
⦁ しかし人間を見ると襲いかかってきて、かみついたり食らったりする。
⦁ 襲い掛かられた人間もzqnの仲間入りしてしまう。
大事な家族・友人・頼もしい味方などが一瞬にして醜悪な敵に変貌してしまうシチュエーションがゾンビものの特徴ですが、それは本作においても忠実に踏襲されているように思えます。
ゾンビの概念を超えた不思議な存在に変貌する『敵』
しかし「ゾンビ」という言葉は注意深く避けられています。そして、物語の後半になると、こうしたイメージを逸脱した異形のzqnがでてきます。形態的に変であるだけでなく、粗暴に主人公を襲うとは限らず、むしろ加勢してみたり、どうも様子が違います。
ここまでゾンビパニックものだと思って読み進んできていた読者の多くは戸惑うのではないでしょうか。少なくとも私は戸惑いました。ところが、戸惑うのはまだ早すぎるのです。話はさらに予想外の方向に展開していきます。
そのうち、そもそもzqnたちは知性をなくしたのではなく、zqn全体として統合された意識を持ち経験や記憶を共有し合っているらしいことが明らかになってきます。
精神どころか、肉体そのものが融合したzqnも英雄たちの前に現れます。最後には超高層オフィスビル並みの体高を持つ巨大融合体まで現れます。
ここまでくると、光景はゾンビものというよりは『Gantz』や『ハカイジュウ』に近い感じになっていきます。
いったいどうなっているのか。zqnたちはいったい何をしようとしているのか? 何か目的があるようなのですが、最後までわかりません。
ゾンビはともかく、主人公は前向きに成長する
最終的に既存の社会は崩壊しますが、主人公は生き延びて平安を取り戻します。ひとり都内に住み、ボッチでレトルト食品を食らう姿は物語の最初期の姿に重なります。しかし、英雄はささやかながらも畑を作り狩りを試み、少したくましくなっています。幻影の友人は消えてはいませんが、もはやぼんやりした姿でしか出てきません。
SF好きとしては、結局zqnとはなんだったのか、もっと説明がほしいとも思います。しかし、作者が描きたかった本題はそこではないのでしょう。表面的にはゾンビによる世界の終末を描いた作品ですが、正しくは、人間の「成長」を描く物語と考えるべきなのかもしれません。社会に今一つ溶け込まないボッチ属性の人々(ここでは細かく書きませんが、主人公が出会う人々、主人公とは無関係に別の場所で奮闘している人々の中にもそういう人たちがいます)が、「孤立状態」から「独立状態」に成長していく姿。その描写を通じて、作者はある種のメッセージを我々につきつけているのではないでしょうか。
<プロフィール>
土井 男性 茨城県在住
中学で筒井康隆、高校で高橋留美子を知り、SF小説とコミックとアニメに開眼して幾十年。今やネットと電子書籍によって未読の作品を手に取りやすくなり、片っ端からむさぼり読む(観る)毎日です。新作旧作を問わず、よい作品の魅力は世界中に伝えていきたいですね。